妹紅、歴史巨編に挑む

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「生徒たちの歴史の教材を探しているのだが、妹紅、外の歴史を題材に小説を書いてみる気はないか」
 私の申し出は、よほど妹紅の虚をついたらしい。
 夕食に箸を伸ばしかけた姿勢のまま、ぴたりと動きを止めている。
 大きなリボンが揺れて、私に向き直る妹紅。
「外のって……幻想郷の外の歴史を題材にした小説?」
 繰り返して、小首を傾げる様子が可愛い。
 いつもの妹紅の調子では、面倒な頼み事を適当な言葉で誤魔化して、いつの間にかうやむやにしてしまうだろう。
 だが、虚をつかれたり感情的になったりすると妹紅は案外脆い。
「妹紅が外の世界で体験したいつの時代でもいい。妹紅の視点から見た歴史を、筆に起こしてほしいんだ」
 驚きに乗じて、矢継ぎ早に言葉を重ねる。
 きょとんとした表情のまま、妹紅は箸を伸ばしてお新香を一つまみ。
 口に放り込んでぽりぽりと噛み味わいながら、話を飲み込もうしているようだ。
「なんで私がそんなことをしないといけないんだ? 慧音の得意分野だろう」
 ようやく、尤もな疑問を口にする妹紅。
「確かに、私には歴史の知識があるし、歴史の資料は稗田阿求から十分提供されている。学べるところが多い外の世界の歴史を教えるには十分な資料といえる。だが、生徒一向にやる気をみせてくれない。授業で居眠りする奴が多くて、最近では教える自信がなくなりかけている」
「つまり、退屈なんだな」
 寸鉄、半人半獣を刺す。
 しかし、今回の話の核心部分でもあった。
「う、まあ、簡潔にまとめられるとそうなんだが、その退屈さの原因を考えるに、私は一つの視点でしか歴史を語ってこなかったがあると思う」
「一つの視点?」
「ああ、正確に歴史にあったことを伝える視点だ。何年に何が起こった。何年に何の法が布かれた。その結果、社会はどう変化したか……」
「ごめん、すでに眠い」
 冗談なら笑えるのだが、妹紅は本気の大欠伸。目蓋をこすりだす。
 妹紅とは別の理由で、私も一緒に涙目だ。
「……そんなわけで、私の教える歴史は事実の羅列になって、人の興味を引くエピソードがまったくない。当時を生きる人の思いとか、そういう部分を伝えることが不得意なんだ」
「だからこそ、歴史を直接体験してきた私にというわけか」
 言いたいことは伝わったようだが、妹紅は渋い顔。
「せっかくなんだけど、私には無理かな」
 肩をわざとらしくすくめる妹紅。
 私は努めていつもの表情で、妹紅の言葉を待つ。
「私は歴史の流れなんて興味がなかったし、直面していたとしても目立たないように、ただ流されていた。第一、藤原不比等が娘として筆を取れるわけにはいかなかったし」
 父の名を呼ぶときの妹紅の表情は、屈折、諦観、そして慕情。
 一つの言葉で括れない寂しげな表情に、この話を持ち出したことへの後悔を感じてしまう。
 しかし、だからこそ持ち出した話だった。
 家族の話題になると、針に触れたように顔を歪めるか、はぐらかす妹紅。過去のいざこざが、どれだけの悔いを残したのか忘れることもできないのだろう。
 悲しいほど律儀な妹紅。もはや、責めるものなど誰もいないというのに。
 そのくせ、他人の家族の話となると喜んで話を聞くという。妹紅にはすまないが、屈折した家族への憧憬を感じてしまう。
「現在、藤原不比等が残した業績は広く知られているが、その人柄などは案外知られていない。今、もっとも知れ渡っているエピソードは、竹取物語においてかぐや姫に求婚し、袖にされたということぐらいだ。律令制度に尽力し、日本という国の形を整えた男に相応しい話ではない」
 かぐや姫。
 その言葉に妹紅の紅の瞳が瞬き、怒りに燃えた。
「当たり前だ!」
 烈火のごとき憤り。
 憤懣やるかたなしという状態の生き字引と化した妹紅に、焚き付けすぎたかと悔いが浮かばないでもない。ボルテージの上がりっぷりに、予定通りとはいえ一瞬体が引けてしまった
 だが、ここが勝負どころ。私も言葉に熱をこめよう。
「だからこそ、妹紅が伝えたい形で藤原不比等を筆に起こす必要があるのではないか。別に正確に伝える必要もないし、妹紅が素性を明かす必要もない。いや、歴史という枠に捕らわれる必要すらない。伝えたい藤原不比等の姿を物語に起こして、竹取物語の印象を上書きしてしまおうということだ」
 最古にして現在も派生を生み出す脅威の物語に対し、いささか大言壮語の観は否めない。
 だが、挑む山の高さが問題なのではなく、挑ませること自体が私の目論見なのだ。
「父様のことを伝える……」
 ぽつりと呟く妹紅。
 思いをはせるのは、永遠を手にする直前の苦さではなく、その膝に甘えたもっと幼い頃の記憶だろうか。妹紅の表情は少し和らいで見える。
「妹紅には優しい父だったのだろう。皆に、そのことを教えてあげたらどうか」
 妹紅の揺らぎは、手に取るようにわかった。
 ここまできたら、後は考え込む妹紅の背をとっておきの言葉で押してあげるだけ。
「これは、妹紅にしかできないことだと思う。今、妹紅だけが父親の名誉を回復するという孝行をすることができる。この意味が、わかるかな、妹紅?」
 私の言葉に、声もなく頷く妹紅。
 決まりだ。
 こぼれおちる私の微笑み。
 妹紅が父親に感じている負い目。それが今回のことで、少しだけでも晴れてくれればいいのだが。


 翌日の寺子屋。
 私は教室に入るなり、異変に気づく。
 全員が紙切れを手に、熱心に何かを読み込んでいるが、顕著な異変は人物。
 藤原妹紅がそこにいた。
 どうしたのかと視線で問う私に、妹紅は全員に渡している紙切れをぴらぴらと見せ付ける。
「慧音、昨日のうちに一部を仕上げたから皆に見てもらっている。慧音も見てくれないか」
「おお早いな」
 言われるまでもない。さて、妹紅の残す物語を読むとするか。




 第一話 イケてる大納言!

 朱雀大路に出たあたりで、辰の刻を知らせる梵鐘が聞こえてきた。
「きゃあ、いけない! 古事記の編纂に遅刻しちゃう!」
 朝靄漂う平城京を、あたしは遮二無二に走り出す。
 あたしの名前は稗田阿礼。
 ちょっぴり記憶力抜群な普通の女の子といったところカナ?
 もっとゆっくりとみんなの疑問に答えたいところだけど、ごめんね、いまちょっと忙しいの。のんびりしていたら遅刻しちゃう!
 朝廷への初出仕から遅刻なんて、かっこ悪すぎ。
 これは、今日から太安万侶様と古事記の編纂を始めることになって、ドキドキして寝付けなかったのが原因かも。
 でも、太安万侶様の知的な横顔を想像するだけで、胸がときめいてしますのは仕方がないよね。
 しかも、今日から二人きりの共同作業。
 平城宮に駆け込んでから、廊下を進む途中も、ぽやーっと妄想が走り出してしまう。
 ようやく我に帰ったのは、大分奥まできてからだ。
「って、ここはどこ?」
 呟いてみるものの、誰も応えてくれない。
 広大な庭に、人影もない。
 もしかして、とんでもないところに踏み込んだのだろうか。
 きょろきょろと周囲をうかがっても人影もなくて、じわじわと不安が忍び寄る。
「だ、誰か……!」
「そこの子猫ちゃん。ここは、大内裏だよ。もうすぐ進むと禁裏、フフフ危なかったね。戻るには、右の廊下をまっすぐ進むといい」
「ありがとうございます!」
 不意の親切な声に慌ててお礼。
 でも、相変わらず誰の姿もない。
 えええ! 幽霊さん?
「アハハ、ここだよ」
 頭の上からの声に導かれて、視線を上に上げる。
 庭で雄大な枝ぶりを見せ付ける椎の木。その枝に男の人が登っていた。
 高官を示す冠をぞんざいにかぶって、巨木の幹に均整のとれた長身を委ねている。
 なにコイツ?
 けれど、そいつの瞳に魅入られた瞬間、あたしに落ちる雷光。
 マジでかっこいい人!
 わかりやすくいえば、在原業平似の美青年ってとこかな。
「あの、あなたは一体?」
「初めまして、可憐なお嬢さん」
 おずおずと問いかけるあたしに、魅惑的な笑みを返す。
 男は枝から身を躍らせる。
 体重を感じさせない身のこなしで、初夏の日差しを背に大地に降り立った。
 悪戯っぽい眼差しをあたしに向けている。その目つきに引き寄せられて、あたしは視線を外せない。
「俺の名前は藤原不比等」
 藤原不比等!
 男の名乗りにあたしは息を飲む。
 聞いたことがある。藤原の名を持つ唯一の存在。大宝律令の編纂に関与、養老律令し、国体を作り上げた志の高い政治家。輝夜などという根性腐れとは縁もゆかりもない偉人だ。
 名前も他に比するものなく優れている意味で、後に生まれるこの方の五女が「お父様、素敵」と慕うのは間違いない。
「あ、あの、ええと、あたしは……」
 次はあたしが名乗るべきなのだが、言葉がでてこないで顔が赤らむばかり。
 だけど、不比等様は苛立ったそぶりもみせない。
「知っているよ、稗田阿礼。面白い娘がきたと評判だからね」
 初夏の風に似た、優しい囁き。
「え、そうなんですか?」
「ハハハ、同時に類稀な記憶力で、古事記の編纂に必要な人材だということも聞いている」
「そんな、光栄です」
 驚いたり、恐縮したりと、揺さぶられっぱなしのあたしを、不比等様はまるで面白い生き物を見ているかのように目を細めていたが、ふと天を見上げて日差しの高さに目を見開く。
「おっと、いけない。俺は仕事に戻るよ。君も急いだ方がいい」
 いけない、忘れていた!
 踵を返す不比等様にあわせて、私もその反対方向へと駆け出そうとする。
 が、数歩進んだところであたしは立ち止まった。
 振り返って、遠ざかる不比等様の背中をみていると、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚。
 あたしは、思わずその背中に呼びかけていた。
「不比等様! ……ええと、また、会えますか?」
 そんなこと聞いて、どうしようというのだろう。でも、あたしはそれがとても大切なことに思えたのだ。
 あたしに呼びかけに、不比等様も足を止めていた。振り向いて、あの極上の笑み。
「会えるさ。君が、その優しい眼差しを失わない限りはね」
 そのまま、あたしの心に温もりを残して、去っていく不比等様。
 見送るあたしの胸に、じんわりと熱がこみ上げてくるのを感じていた。
 この古事記編纂事業には、きっと私を焦がすナニカがある。

 第一話「イケてる大納言」完
 第二話「反乱パニック! 長屋王の甘い罠」に続く





 どうやら、第一話が終わったようだ。
 同時に、私の精神力が尽き果てようとしている。
 原稿から朦朧とした視線を外すと、得意満面の妹紅と目が合った。
 お前の満足げな笑顔の根拠はなんだ。
 私は愛おしい妹紅を見つめながら、このカオスについて説明を求めざるを得ない。
「考えたけど、やっぱり主人公は読み手である生徒にとって近い、等身大の年代にしようかなって。文体も思い切ってその年代にあわせてみた」
 狙いはわかる。
 不比等と阿礼が同年代にいて、国体を定めようとしていた不比等が、天皇制の正当性を証左する古事記を後援した可能性も否定すまい。
 だが、思い切りすぎだろう。
「というか、妹紅。肖像権って知っているか?」
「うーん、歴史上の人物なので、もう消滅しているんじゃないかな」
 確かに阿礼本人の権利は消滅しているかもしれないが、確実に怒鳴り込んできそうなのを一人知っている。
 いや、そもそもの問題は肝心の藤原不比等の性格設定。なんだ、この不審者は。
 私は、妹紅をなるべく刺激しないように問いただす。
「……いいのか、藤原不比等がこんなので」
「かっこよすぎた?」
「いやいや」
 もはや、妹紅の男の趣味がわからない。
 今度、妹紅が竹林から戻ってきたら、屋根の上で出迎えてみよう。
 おやおや、可愛らしいフェニックスちゃんが迷い込んできたようだねとか、なんとか言いながら。
 惚れろよ?
 だが、そんな具合に思考を錯綜していても、もちろん何の解決にもならない。
 現実問題として、こんなものを読まされた生徒たちが、いかなる心理的ショックを受けているのか計り知れなかった。
「生徒に読ませる前に、私に見せて欲しかったな」
 愚痴をこぼしつつ、生徒たちに向き直る。
「皆、さっきの変な小話だが……な、なんだお前ら!?」
 私の言葉が終わるの待たず、次々に立ち上がる生徒たち。
 彼らは、次々に叫んだ。
「最高でした! 妹紅さんは、現代の紫式部っすよ!」
「洒落になんないぐらい感動しちゃいました! リアル感がスゴイってゆーか、カレとの出会いを思い出します」
「心から思うんです。世界中の人全てが妹紅さんの小説を読めば、戦争なんて消えてなくなるのにって」
 畜生、固定ファンがついてやがる。
 私はかつての教え子たちを半ば絶望の思いで見つめる。
 え、なに? 先生の感性が千年ぐらい遅れているの?
 激賞に照れて頭をかく妹紅を、私は初めて得体の知れない何かに感じる。
 これは、絶対によくない。
 私は平穏な日常を取り戻すため、妹紅の襟首を後ろからつまみあげていた。
「先生と妹紅さんは、阿求さんのところへお邪魔するので、一時間目は自習!」
 そのまま、妹紅を引きずって阿求の元へ。
 こんなもの、世間様に晒させるものか。
 申し訳ないが、阿求にブチギレてもらって、差し止めてもらわなくてはなるまい。


「生憎ですが、ぜんぜん違いますよ」
 稗田阿求の書斎に、ぺしっという乾いた音が響く。
 原稿を手の甲で叩いて、不満を表す阿求。
 ほらみろ妹紅。
「出版差し止めか……」
 がっくりとうなだれる妹紅は可愛いが、同情はできない。
 釘を刺しておかなければ。
「妹紅の独創性は私も見事と思うが、いささか突っ走りすぎだったな」
「いえ、内容は概ねこのとおりなのですが」
 しかし、阿求からの思わぬ発言。
「へ?」
 間抜けな声を出す私の前で、なぜか阿求は頬を赤く染めていた。
 そして、悪戯っぽく私たちを見やる阿求。

「一目惚れしたのは、あの人の方ですよ」

 幼い顔立ちに、艶やかな微笑が浮かんでいた。
「可愛い方でした……」
 何を思い出したのか、阿求の唇から切なげな吐息がもれる。
 阿求、恐ろしい子!
 あれこれ、よからぬことを想像していると、真横からの低いうめきが聞こえてきた。
「あいつ……」
 その呟きは藤原妹紅。
「輝夜で、懲りてなかったのか!」
 妹紅の握る拳も悲しく震える。
 どうやら、父親へ憧憬とは間逆の感情が千数百年で初めて芽生えたらしい。
 もしかすると、これこそがいい父離れの契機になるのではと想いつつ、私は次のことを思わずにはいられなかった。


 史実は小説よりも奇なり、と。


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