紅魔館の食糧事情

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『現在、紅魔館では血液の提供者を募集中しています(若干名)
 幻想郷一のカリスマを持つ主の元で、希望に満ちた未来を共に歩きませんか?
 勤務地:食料庫 若者歓迎。要資格:なし』

 魔理沙の注意をひきつけていたのは、紅魔館の門に張られた謎のチラシだった。
 一見、人材募集広告に見える文面を二度、三度読み返し、魔理沙は思う。
 トラップが隠しきれてないぞ、と。
 特に二行目がひどい。
「門番、こいつは何だ?」
 問いかける魔理沙の目線は自分の足元に向かっていた。そこには、地面に倒れ伏す紅美鈴。今日も魔理沙の正面突破を阻止できなかったようだ。戦利品とばかりに、魔理沙の人差し指で美鈴の帽子がくるくると回されている。
「……咲夜さんが何日か前に張ってたみたいですが」
 顔だけをかろうじて上げて律儀に応じる美鈴。
「ほー」
 メイド服の少女を思い浮かべつつ、美鈴の頭に帽子を戻す魔理沙。
 美鈴を覗き込む。
「妙だよな」
「何が、です?」
「お前ら、幻想郷の人間は食べないんじゃなかったのか?」
 吸血鬼と妖怪が結んだ契約。吸血鬼が血を食するのは、妖怪たちが供給する外の世界の生きる希望をなくした者たちのみ。それが、こんな大っぴらに犠牲者を募っていいものか。
「ええと、相手が是非に血を飲んでくださいと言ってきた場合、断るのは失礼にあたるそうです」
「是非にって……」
 美鈴の丁寧な返事に、魔理沙が堪えかねて吹く。
「失礼も何も、そんな奴はいないだろー!」
 さも可笑しそうに言い放つと、犬を愛でるように美鈴の頭をぐりぐり撫でる。
 頭ごと振り動かされてうあーと呻くものの、されるがままの美鈴。力任せに撫で回すほど美鈴の呻きはかすれて、やがて静かな断末魔となって消えていった。
 その様子を見届け、満足そうに頷く魔理沙。
「ったく、誰が好き好んで食料になるか」
「それが、いるのよ」
 真後ろからの声。反射的に飛びのく魔理沙が見たのは、くすくすと笑みをこぼす十六夜咲夜だった。
「あらあら、何か飛んでくると思ったのかしら?」
「……お前さんには前科があるからな」 
「貴方から前科という言葉が飛び出すとは、世も末だわ」
 わざとらしいため息を吐き出して、咲夜は一枚の紙切れを取り出す。そのまま、魔理沙に止めを刺された美鈴の横を抜け、自らの張った『血液提供者の募集チラシ』の前へ。その上に先ほど取り出した紙切れを貼り付けた。

『定員に達しましたので募集を終了いたします』

「集まったのか!」
「お嬢様の魅力があれば当然のことよ」
 驚愕の魔理沙に、咲夜は誇らしげに胸を張る。
「……信じられないぜ」
 魔理沙の呟きの対象は、募集が埋まったことに対してか、それともお嬢様の魅力自体に対してか。
「まったく、幻想郷もいつから気軽に命を投げ出すような奴らの巣窟になったんだ?」
 嘆かわしいとばかりに肩を竦めてみせる。
「命を投げ出す? 何を言っているの、あなたは」
「え、死ぬだろ。血をちゅーっと吸われたら」
 魔理沙の可愛らしい吸血の表現に、思わず顔を綻ばす咲夜。少し、パチュリーの気持ちがわかった気がした。
「馬鹿ね、致死量の血液なんて必要ないわ。お嬢様方は小食だから少しでいいの。例えば料理に混ぜる割合も、紅茶へ香り付けに入れるブランデーと同じぐらい」
 知られざるお嬢様の食生活を垣間見る魔理沙。
「第一ね、『生きる気力を失って死のうとしている人』を都合よく妖怪が見つけて供給してくれるとして、その人数なんて多寡が知れているわ。そんな貴重な人間を軽々と死なせられる?」
 魔理沙の脳裏に、眠りこけるどこぞの紫の姿が浮かぶ。実に納得。
「そうだとしてもな……食料庫に閉じ込められて毎日血を抜かれるだけってのは辛いだろ」
 想像しただけで陰鬱になるゴシックホラーな世界だった。魔理沙も一応は人間で、少女なのだ。
 思えば、紅魔館にはよく遊びに来ているが、食料庫付近を無意識に避けていたかもしれない。
 常に無く沈んだ口調の魔理沙に、咲夜はまず首を横に振って否定の意を示す。
「そのことについても考え違いをしているみたいね……あら?」
 続けようとした咲夜の言葉は、近づいてきた複数の足音に遮られた。

「ただいま戻りました!」
 遠くから呼びかけてきたのは、十数人の人間の女性たち。年恰好はバラバラだが、明るい表情と軽く運動をしてきたらしい上気した表情が共通していた。
 魔理沙には初めて見る顔ばかりだった。女性たちはその視線に気づいて、魔理沙へ礼儀正しく一礼する。
「お帰りなさい、貴方たち」
 咲夜はよく知る相手なのか、打ち解けた声で彼女たちを出迎えた。
「美鈴さんもお仕事お疲れ様です」
 彼女たちは倒れ伏す門番へも声をかけると、かろうじて片手を挙げて応じる美鈴。よかった、生きていた。
 そんな美鈴にも動じない、あまりにも場慣れした一団が館の中に消えてから、ようやく魔理沙は質問をぶつけた。
「あいつらは、何だ?」
「さっきあなたが話していた、食料庫に閉じ込められて毎日血を抜かれるだけの人間よ」
 意地悪く、先程の魔理沙の言葉を流用する咲夜。
「健康のため、午前の運動をして食料庫へ戻っていったのよ」
 その言葉の意味を飲みこむことに、若干の時間を要する。
「食料庫の人間なのか? 外を出歩いていたぞ?」
 それでも、消化しきれなかった魔理沙の疑問に咲夜は苦笑を向ける。
「いい、よく聞きなさい。まず、毎日吸血というのは無理。人の血液は頻繁に抜くと弊害がでてくる。そんな血をお嬢様方い飲ませるわにはいかないから、一月ごとになるようローテーションを組んでいるの」
「そうなのかー?」
 問い返す魔理沙の言葉は、あと一歩で宵闇の妖怪になってしまいそうなほど意味のない言葉だった。
「そして、レミリア様は特に味にこだわる方なのでストレスと運動不足でドロドロの血液なんてとても飲ませられない。だから、食料庫の方々には規則正しい生活、バランスの良い食事、適度な運動、自由に外出できる環境、ある程度の小遣いと、なるべくストレスのない環境を提供して、綺麗なサラサラの血液を保ってもらうの」
 話を聞けば聞く程、吸血という言葉が離れて献血という単語が近づいてくる魔理沙だった。
 ホラーに感じた食料庫もどこへやら。今想像する食料庫は、女性たちの気ままなおしゃべりが響き渡るお茶会か何かだ。
「だけど、健康になって活力を取り戻した上、有り余るほどの時間があるでしょう。生きる希望湧いてきちゃうみたいで、そうなるともう『生きる気力を失って死のうとしている人』なんかじゃないから、送り返してあげるしかないわね」
 ここまでくると、すでに社会復帰施設の領域だった。
「ええと、つまり生活の心配をする必要も無く、気ままに自分の時間をもてた上に金までもらえて、義務は月一回の少しの血液提供だけ、と」
 要点を抽出してみると、魔理沙も納得せざるを得ない。
 怠け者には天国じゃないか。
「そう。そんなわけで結構出入りも多いし、人気があるのよ。今回もお断りした人がでたぐらいだし。ほら、この人」
 魔理沙の前に、申込用紙が一枚差し出される。
 おいおい、個人情報だろと思いつつも咲夜の何か言いたげな表情に興味を引かれ、その用紙を手に取った。
 その文面には、見知った名がひとつ。

『名前:蓬莱山輝夜 年齢:満17歳』

「今、ひどい詐欺を見ている」
 まさに魔理沙の感想どおりだった。
 あの黒髪の可憐な姫君は何を考えているのか。
「たぶん、若者歓迎と募集要項に書いたせいでしょうね。あと、その下も見て」

『志望動機:幻想郷の中でも、格調高く歴史ある御社の事業内容に興味を持ち、心が惹かれ御社を志望しました。また、職務内容に関しましても、私個人には1000年以上に及ぶ自己コントロールの実績があり、御社の望まれる……』

 枠の中にびっしりと説得力のある言葉が並んでいる。
 とはいえ、魔理沙も一読して気づいたことがあった。
「気のせいか、この部分だけ筆跡がものすごく綺麗なんだが」
「ええ、こいつ……まず最初に、ここだけ永琳に書かせやがった、と思ったわ」
 咲夜の推測は、まったくそのとおりのようだ。

『趣味:もこいぢり』

 この欄と志望動機の落差が著しい。
 ここまでひどいと、魔理沙ですらいいとこ探しをしたくなる。
「だけど、すぐ復活するってのは魅力的じゃないのか。非常食に最適、とか」
 おそらく、咲夜も同じ気持ちだったのだろう。悲しげに首を振る。
「ところが血液検査の結果、血液年齢が2000歳ということが判明して……」
「実年齢こえちゃった!?」
 どれだけ自堕落な生活を送っていたのだろうか。
「それにお嬢様がこの血を飲むとカリスマが下がりそうだ、と」
「そうか……」
「……」
 二人、遠い空を眺める。

(もうその時点で手遅れでは)

 わかっていながら口に出せない台詞を、二人は噛み潰すしかなかったのだった。










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